iパプア・ニューギニアで3機の3式戦を回収
      
        68戦隊                78戦隊
ハンガーにおける3式戦主翼
中 隊 色
※ 68戦隊  本部:青色、1中隊:白色、2中隊:赤色、3中隊:黄色
※ 78戦隊  本部:不明、1中隊:赤色、2中隊:黄色、3中隊:緑色
 
事 実
 約3機分の3式戦1型をパプア・ニューギニアのAlexishafen
から回収した。
 彼らはこの機体は68戦隊使用機と主張している。
 回収した3式戦を復元するために必要な部品を探している。

※ Alexishafenとは ※  
 Alexishafen(アレキシスハーヘン)とは、マダン近郊にある
アレキシス南・北飛行場をさす。
 アレキシスには昭和18年11月13日の空襲で滑走路・航空
機とも壊滅状態となった。
 その飛行場には68戦隊(3式戦)、77戦隊(1式戦)及び95
戦隊(99式双軽爆・100式重爆)等の航
空機がいた。
協力依頼内容
1 各種機体部品の入手
2 計器板の詳細な図面の入手
3 各種計器類の入手
何か協力できる内容があれば船津航空計器博物館まで
1機目の3式戦1型(細部型式不明)
2機目の3式戦1型(細部型式不明)
Fighter Factoryでの復元状況


Ki-61 3式戦1型丙 「飛燕」
68戦隊所属機をイメージした作品 ニューギニア等の戦地では戦隊マークを消していたと言う。


3式戦の型式及び装備 68・78戦隊の保有機
型式 製造番号 主要武器等 1個戦隊定数40機 第1中隊 12機
胴体 第2中隊 12機
1型甲 113〜500 98式(7.7mm)×2 ホ−103(1式)12.7mm×2 第3中隊 12機
1型乙 501〜? ホ−103(1式)12.7mm×2 ホ−103(1式)12.7mm×2 本部・予備 4機
1型丙 3001〜3401 マウザー151(20mm)×2 ホ−103(1式)12.7mm×2 40機
1型丁 4001〜4901 ホ−103(1式)12.7mm×2 ホ−5(20mm)×2 68戦隊:37機/50機中(戦闘開始時)
78戦隊:48機/50機中(戦闘開始時)
1号機の完成は昭和17年8月で19年7月頃までに1381機生産
68・78戦隊で使用された機種
○ 68・78戦隊は、3式戦最初の装備部隊と2番目の装備部隊であり、当初は1型甲を使用した。
○ 南方に大規模は改修団を送り込み、1型甲・乙を丙(マウザー搭載機)に現地改造を実施した。
○ 相次ぐ消耗のため、補充機は3式戦だけでなく1式戦をも割り当てられた。
○ トラック・ニューギニア方面で残存する3式戦には1型甲・乙・丙・甲改修型の丙、乙改修型の丙の5種類となる。




68戦隊の戦歴
17年 3月31日 満州のハルピンで編成完結 97戦使用
12月 明野において3式戦への機種変換開始(最初の3式戦装備部隊)
18年 3月 機種変更終了
4月4日 ラバウル進出のため3式戦1型甲50機を空母「春日丸」に乗せ横須賀を出港
4月10日 トラック島到着
4月27日 ラバウルに向け出発、到着14機/27機中
(第一:14機中1機のみ到着、第二:13機全機到着)
5月17日 初陣、ウエワク攻撃のための爆撃隊援護
7月初旬
まで
ラバウルからワフ、レントバ攻撃参加
1・2中隊はウエワクに派遣
7月中旬 ニューギニアのウエワク東飛行場に移転
10月末 全機消耗までラエ、サラモア、ベナベナ、マサブ、マラワサに出撃
マニラに後退、兵力の補充にかかる。
11月13日 アレキシス飛行場:連合軍約200機による集中攻撃を受け壊滅的打撃を受ける。
11月末 一部は再びウエワクに戻り、ウエワク・ブーツ地区の防空任務
19年 3月 ホランジアに移動
3月30日 空襲により大部分の機材損失
4月22日 米軍がホランジア上陸、残留人員は徒歩でサミルへ移動
5月 マニラ組みは再建終了、ハルマヘラ島(ミチ飛行場)へ進出
(機体は、1式戦、2式戦、3式戦、99式襲撃機等の寄せ集めで編成)
63・78戦隊とともに、集団戦闘飛行隊を編成
7月25日 全機消耗、68戦隊解隊
78戦隊の戦歴
17年 3月31日 満州のハルピン孫家飛行場で編成完結 97戦使用
12月 南満州防空のため遼陽へ移動
18年 4月12日〜
6月中旬まで
明野で 3式戦への機種変換訓練開始    
(2番目の3式戦装備部隊)
6月17日 明野から南方進出にため第一陣出発
明野〜新田原〜沖縄〜台湾〜比島〜欄印〜ニューギニア経由
6月26日 第二陣15機、空母「雲鷹」で横須賀からラバウルへ出発
7月5日 第一陣ラバウル到着(33機)
7月7日 第二陣ラバウル到着(15機)
7月15日 ウエワクに移動
7月18日 初戦果、P38をラモアで撃墜
9月中旬まで ラエ、サラモア、ウエワク方面に出撃
9月19日 兵力消耗、回復のためマニラに後退
10月中旬
以降
再びウエワクに戻る。
マーカム河、マラワサ、フインシュハーヘン、マザブ、グンビ岬方面の作戦参加
方面の作戦参加、ウエワク防空任務等実施
19年 3月 ホランジアへ移動
3月30日 空襲により大部分の機材損失
4月22日 米軍がホランジア上陸、残留人員は徒歩でサミルへ移動
一部をもってハルマヘラ防空任務
5月5日 全機消耗、78戦隊解隊