航空機製造会社(三菱重工業編)

番号 製作所名 場  所 区分 製 作 品 目 等
名古屋航空機 大江 共通 機体
名古屋発動機 共通 発動機
松本製作所 松本 共通 試作(烈風・キー83)
鈴鹿製作所 三重県鈴鹿市 海軍 最終整備(1式陸・0戦・雷電・烈風・秋水)
知多工場群 愛知 陸軍 機体(4式重爆)
長野工場群 長野
水島製作所 岡山県倉敷市 海軍 発動機、1式陸攻・紫電改
熊本製作所 陸軍 機体(4式重爆)
11 大門製作所 富山県射水郡 陸軍 機体(100式偵)

倉敷市教育委員会主催の「戦災のきろく展」パンフレットから転写
(周辺の草等の状況から終戦後撮影されたものと思われる。)

三 菱 水 島 製 作 所
年・月・日 記     事
昭和16年4月26日  三菱重工業航空機製作所の水島誘致決定
 水島航空機製作所の建設案立案 (海軍の要請により倉敷南方約9Kmの海面を

埋立工場用地、飛行場用地、その他を合わせ約140万坪にも達する大規模なもの)
昭和16年11月22日  工場の起工式
 (工場・飛行場、港湾施設、専用鉄道、病院、社宅、青年学校)
昭和18年4月1日  航空機の製作開始
昭和19年初旬  作業を開始、水島を第7製作所と改称(1式陸攻、紫電改の生産にあたらせる。)
1式陸攻34型、22型〜27型生産開始
昭和19年2月11日  1号機(1式陸攻22型進空式
昭和19年3月  海軍達「烈風」の試作・試験及び早期生産計画」担 当: 名古屋・水島
 昭和19年夏までに試作が終らない場合、水島製作所は紫電改の生産を
昭和19年8月4日  軍需省「烈風」の生産中止、水島製作所、紫電改の生産準備開始
昭和20年5月11日  B29×数十機夜間爆撃
昭和20年6月22日  B29×108機、昼間爆撃(壊滅的打撃受ける。)
昭和20年頃  工場の疎開開始
○亀島山に地下工場○龍ノ口に半地下工場○五軒屋付近に分散工場
 上記の場所にて機体工場、治具工場、組立工場
終 戦  紫電改生産準備のみ(完成した機体はない。)
 終戦後、工場等の解体
作業に従事した知人の話
しによると
1 飛行場には、完成していない飛行機(大型、小型)があった。
2 亀島山のトンネル内部でエンジン部品等製作していた。
3 ベニヤ板使用の機体があった。
4 エンジンは、1m間隔にて焼却された。
※ 私の地元でもあり、小さい頃からよく聞かされていた事で、下記の機体であると予想される。
大型機とは 1式陸攻  : 本工場にて製造
小型機とは 紫電改   : 本工場にて製造
         倉敷紡績万寿工場にて
生産(終戦の翌日1号機完成)
          連絡用の小型機
ベニヤの飛行機とは 「試製東海」: 倉敷航空化工で全木製化した試作1号機が終戦時に完成している。
「白菊」:倉敷航空化工岡山航空機製作所で木製化した機体が生産されていた。
     本工場に近くには西南飛行場(元岡山空港)があった。

上記の表の記載事項は、以前に書籍等にて調べたものであるが、
今回の「戦災のきろく展」の月日が違う箇所があったので、最新の記録に更新した。


水島製作所で製造された航空機・製造数

昭和19年 昭和20年
10 11 12
1式陸攻 22型 1 1 1 10 12 19 31 25 36 55 55 40 44 45 42 53 25 17 - - 521
34型 1 - - - 1
紫電改21型 1 1 0 3 1 3 9


 6月22日の爆撃により壊滅的打撃を受けたため、7月以降の製造数はない。しかし、
20年6月に完成していた22型17機の一部または全部は爆撃で破壊されたのであろう。
 注目すべき所は、20年6月以降にも、紫電改21型は製造されていたと言うことで、疎開
工場または被弾を免れた工場により生産されていたのだろう。
 また、「戦災のきろく展」の展示写真の中に破壊された紫電改の垂直尾翼には18−1ま
たは10−1と読める標識のあるものもあった。これは部隊標識ではなく、製造番号ではな
いかと思う。以前「製造番号読む」の海軍航空機の場合で説明した水島は12を製造番号
の頭に付けてした1式陸攻と同様に、18や10ではなく12の見誤りではないか。
 そうなると12−1は紫電改21型の水島で生産された1号機となるがいかがだろうか。