戦後の航空機関係年表 | |||
1945年 | 昭和20年 | 8月15日 | 無条件降伏 |
8月24日 | 一切の飛行禁止 | ||
10月7日 | 戦後処理に使われていた緑十字飛行廃止 | ||
11月18日 | 「民間航空廃止ニ関スル連合軍最高司令官指令覚書」発令 連合軍による航空活動の禁止命令(航空禁止令) |
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1950年 | 昭和25年 | 航空行政権の一部が日本政府に移管 | |
6月25日 | 朝鮮戦争勃発 生産を中止していた航空業界は米軍機の修理等から日本の 航空産業復活の兆しが現れた。 |
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1951年 | 昭和26年 | 9月 8日 | サンフランシスコ講和条約調印 |
10月25日 | 民間航空再開 戦後初めて「日の丸」をつけた飛行機が羽田から飛び立つ |
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1952年 | 昭和27年 | 6月 | 戦後、航空再開 |
7月15日 | 航空法が施行(現在の航空法の原型が公布・施行) | ||
7月16日 | 航空機製造法(今の航空機製造事業法)が公布 | ||
1953年 | 昭和28年 | 7月27日 | 朝鮮戦争休戦協定 |
戦後の航空機生産(昭和27年〜30年) | ||
機 種 名 | 概 要 | 製造数 |
立飛R−52練習機 | 新立川飛行機が製作した戦後最初の国産機 昭和27年9月に完成、学生航空連盟の練習やグライダー曵行などに使われた。 エンジンは戦時中に生産された神風型(150馬力、最大速度199km/h) |
1機 |
東洋TT−10練習機 | 戦後2番目の国産機、東洋航空工業で設計・製作した機体 昭和27年12月完成、青年飛行連盟(現在日本飛行連盟)の使用機となったが、 事故で失われる。140馬力、最大速度220km/h |
2機 |
日大/岡村N-52軽飛行機 | 岡村製作所が製作した並列複座の国産軽飛行機、28年4月に完成した。 65(90)馬力、最大速度165km/h |
1機 |
川崎KAL−1連絡機 | 戦後、川崎の国産第1号機、28年7月に完成、260馬力、最大速度285km/h | 2機 |
よみうりY−1ヘリコプター | 戦後、日本で最初の国産ヘリコプター、設計は日本ヘリコプター研究会が、 製作は東京機械化工業が担当 神風改造型130馬力、計画巡航速度130km/h |
中止 |
川崎KAT−1練習機 | 昭和28年、川崎が保安隊用に試作した練習機、29年2月初飛行 260馬力、最大速度360km/h |
2機 |
萱場式ヘリプーン | 胴体はセスナ170のものを使用、一種の複合ヘリコプター、29年5月完成 | 1機 |
川崎KAL−2連絡機 | KAL−1及びKAT−1の発達型、29年11月完成、試作機は航空・海上自衛隊 に納入、240馬力、最大速度278km/h |
2機 |
立飛R−53練習機 | R−52の発達型、29年7月完成、155馬力、最大速度168km/h | 1機 |
立飛R-HM310軽飛行機 | 新立川飛行機、操縦がむずかしく量産中止、95馬力、最大速度150km/h | 1機 |
富士LM-1連絡機 | T-34Aメンター練習機(富士重工ライセンス生産)29年から製造開始 32年7月まで生産(ノックダウン49機、国産75機、計124機) 225馬力、最大速度297km/h |
124機 |
戦後の航空計器
この3種類の計器を見たとき、ある疑問が生じた。 その疑問とは、出所が同じだとすると使用機種は何んだろうかだ。 高度が5000m以下、昇降が+−10m/秒、速度は170〜180km/h (速度計には補助的17と18の所に赤線で印が書かれていた。) 導かれた結論はグライダーだった。 確認の結果、予想どおりの結論が得えられた。 |
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名 称:高度計 製造会社:東京計器製造所 使用機種:滑空機(グライダー) 備 考:1針、0〜5000m、昭和28年9月製造 |
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外観は米国製の計器の形状を継承し、内部の文字盤・文字、指針等は95式2型 などの2次大戦中に製造された国産高度計と同じ物を使用している。 まさに和洋折衷の高度計であった。 |
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名 称:昇降計 製造会社:ドイツ製?(解読できず。) 使用機種:滑空機(グライダー) 備 考:1針、+−10 |
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名 称:96式速度計(排雨器取り外し、本体のみ) 製造会社:品川製作所 使用機種:滑空機(グライダー) 備 考:1針、0〜6000km/h 使用範囲は最大速度170〜180km/h (陸軍戦闘機用計器を流用) |
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戦時中使用された陸海軍計器は、戦後もしばらくの間、使われ続けていた。 |
飛行中の日大/岡村N52軽飛行機 |
日大工業学部 木村秀政教授の指導のもと、航空研究会の学生グループが設計し、朝日新聞社 からの支援援助を受け、グライダーメーカーの岡村製作所で製作された軽飛行機である。 |
昭和28年(1953)4月7日、浜松飛行場で初飛行、その時のエンジンはコンチネンタルA65(65HP) |
昭和30年(1955)7月、藤沢飛行場でエンジンをコンチネンタルC90(90HP)に換装し飛行した。 |
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日大/岡村N52軽飛行機の計器板 |
上段左から左右傾斜計、速度計、羅針儀、油圧計、油温度計 下段左から高度計、マグネットSW、回転計、シリンダー温度計 計器外右下の計器は燃料計かブースト計と思われる。 |
上段の左右傾斜計は、左右傾斜計3型または旋回計2型を改造したもの。 速度計は速度計4型、羅針儀は零式羅針儀1型、油圧計と油温度計はアメリカ製と思われる。 下段の高度計は精密高度計2型、マグネットSWは海軍用、回転計はアメリカ製と思われる。 シリンダー温度計は1号シリンダ−温度計 |
現在の所、回転計、油圧計及び油温度計は該当する陸海軍計器がなく、コンチネンタルエンジンと共に外国 からの入手品ではないかと思う。しかし、未見の陸海軍計器の可能性も高い。 |
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「日本の航空史(下)1941〜1983」(朝日新聞社)から写真と記事の一部を抜粋 |