日 本 の 射 爆 照 準 器 の 概 要

 日本では昭和5年頃(1930年)から環型式の照準器からオイジー型望遠照準器への変換が進められた。
 (望遠照準器は本来小銃・大砲の直接照準眼鏡で、これを航空機用に転用したもの。)
 望遠照準器取り付けにより、照準精度は向上したものの、気温の変化によるレンズの曇り等不備も現れた。
 陸軍では89式固定機関銃用照準器(昭和4年1929年)として採用され、91式戦、97軍偵、97式戦、1式戦1型、2式戦1型等に装備された。
一方海軍では95式射爆照準器(昭和10年1935年)として採用され、96式艦戦、99式艦爆、 零観等に装備された。
 製造会社は、富岡光学機械製造所で航空機の照準器以外にも、大砲の照準器または測距儀かで、この会社の名前を見た記憶がある。
 ヨーロッパでは望遠照準器に代わる照準器(光像式射撃照準器)の開発が進められていてた。
 昭和7年には最新の照準器(光像式射撃照準器)を入手、この照準器はフランスのOPL社製で国産化するには数々の問題をかかえていたため制式採用
には至らなかった。
 昭和13年(1938年)ドイツから輸入したハインケルHe100戦闘機に取り付けられていた光像式射撃照準器レビ2bを参考に国産化が図られた。
海軍では98式射爆照準器(昭和13年1938年)として採用され、零戦をはじめ紫電、紫電改、雷電、月光等に装備された。
一方陸軍では100式射爆照準器(昭和15年1940年)として採用され、1戦2型、2戦2型以降、2双戦、3戦1型等に装備された。
 新型照準器への変換に海軍は数年で、陸軍は10年間を要している。日進月歩で進化いて兵器分野で10年以上は一世代・二世代前の旧式となる。
 日本陸軍が昭和13年(1938年)にドイツから輸入したユンカースJu87A-2を皮切りに、Ju88、フォケウツフFw190メッサ−シュミトBf109、Me210、
ハインケルHe100等を日本は手に入れている。それらの機体にはRevi-2b、ReviC/12C、ReviC/12D等の照準器が取り付けられていた。
また、Revi16照準器についても、その後入手しているはずだ。日本の照準器はドイツの照準器の影響をかなり受けている。
しかし大戦末期には連合軍、特にアメリカの照準器の影響が大きい。
 89式固定機関銃用照準器は富岡光学製、海軍についても4式射爆照準器が富岡光学製であることから、おそらく他の照準器も同社のものと思われ、
富岡光学
がこの分野での中心的存在であったことが判る。


略 語 原   文 内   容
Ring-pead 環型照準器
Oigee オイジー(ドイツ光学機器メーカー望遠照準器
Revi Reflexvisier 反射式照準器
CSBS Course Setting Bomb Sight コース設定爆撃照準器 1916
SABS Stabilizing Automatic Bomb Sight 精度爆撃照準器
ABS Automatic Bomb Sight 自動爆撃照準器
BZA 爆撃照準自動装置 Stuvi
OPL フランスの会社名 光像式射撃照準器の総称となる。
GGS Gyro Gun Sight ジャイロ・ガンサイト


ド イ ツ 陸   軍 海   軍 備     考
※ 海軍の98式射爆照準器は当初、Revi-2b射撃照準器をほぼそのまま模倣したものを
 採用している。その後、保護パット等の追加(改良)がなされている。


※ 陸軍の100式射爆照準器については、Oigee(非制式採用)射撃照準器をほぼそのまま
 模倣、保護パットを追加した。


※ 独自の調査では100式射爆照準器はRevi-2b射撃照準器ではなく、Oigee社の射撃
  照準器を参考に製作
したものと思われる。
  その
Oigee社射撃照準器はドイツにおいて正式採用されていないようである。よって
  Revi番号は付与されていない。
Revi-2b 100式 98式
写真は、ReviC/12Dだが、12Cとの相違点は外観上では遮光フィルタ(奥側の色付ガラス)の
上げ下げレバーが手前まで延びて長いのがReviC/12Cである。


海軍の4式射爆照準器は保護パットの形状の違いを除き、ReviC/12C/12Dそのままで、陸軍
の3式射爆照準器については外観(照準器本体)の形状が異なっている。
ReviC/12D 3 式 4 式