多摩川精機
会 社 の 概 要
昭和13年  3月、萩本博市氏により東京蒲田において北辰電機の分社として「多摩川精機株式会社」設立
 また、富士航空計器は北辰電機の子会社で社長は北辰と同じ清水荘平氏であった。 
 多摩川精機と富士航空計器は兄弟会社のような存在であった。
昭和16年  計測器・指示器用モータ式の製造に着手
昭和17年 ○ 飯田市(萩本氏の郷里)に飯田工場を建設竣工させる。
○ 航空機搭載用ジャイロ装置の開発・製造を開始
昭和20年 ○ 戦火によって本社を焼失、飯田工場は戦災を免れる。
○ 一時期は2000人もの従業員を擁していたが、戦争終結によって工場の稼働規模は極端に縮小した。
昭和21年 ○ 軍需から民需への転換を図る。
○ シンクロサーボモータの製造を開始
昭和32年  シンクロ電機メーカーとしての地位は不動のものとなる。
昭和35年  転輪(ジャイロゴマ)の特殊加工技術を生かしてジャイロ装置の製造を開始
昭和36年 ○ 航空機器のオーバーホールを開始
○ 創立以来、23年間使用した社標を現在の社標に変更
現 在 ○ 産業用ロボット、NCエ作機械等の位置決めや速度制御用エンコーダ、レゾルバ、ACサーボモータ
○ プリンタ、ファクシミリ等の駆動装置(ステップモータ、DCモータ)
○ 宇宙機器用のモータ・センサ、観測用アンテナ角度検出器、位置制御、速度制御
○ 各種ジャイロ製品、航空機用電気式計器・アクチュエータ及び制御機器等の製造・修埋
2010年5月16日追加
多摩川精機のホームページ


陸軍97式油量計
(同社資料館保管)
計器は富士航空計器製だが、計測器・指示器用のモータ部を担当した。
(油量を信号変換・伝達するためのステップモータ、セルシン)
97式油量計銘板 受感部
試製爆撃照準器用
ジャイロ

(同社資料館保管)
試作経緯 写真はノルデン爆撃照準器M9B(米海軍タイプ)
※ B29の爆撃が非常に正確だったため、墜落したB29の機体からノルデン爆撃
 照準器(Mark 15/M-Series)を取出し解体・調査し、それを製造することになった。
※ ジャイロは多摩川精機で、光学系は日本光学(現ニコン)で試作するよう陸軍の
 命令を受けた。(この時期、日本光学は飯田市外松尾小学校に疎開していた。)
※ 完成したジャイロは、中島飛行機に納めたが、実用化されないまま終戦を迎える。
 以前、十型照準器の取扱説明書を見たことがあるが、まさにノルデンそのもの
  の外観をしていた記憶がある。
※ キ−74試作遠距離偵察爆撃機には、十型照準器を搭載予定であったとか。
※ 多摩川精機のジャイロが十型照準器の一部かは不明である。


社標(マーク)
昭和13年創業から昭和36年までの社標
現在の社標

このページ作成にあたり、多摩川精機 開発営業部 池田・矢沢両氏の協力に感謝する。