はじめに | |
鶉野飛行場は、姫路から北東に約20Kmの所、加西市の小高い丘陵に存在した。 姫路航空隊があり、97式艦攻がいた程度の知識でしかなかったが、調べてみると相当大きな施設等が存在していたことにびっくり。 |
|
1 滑走路 2 海軍主要施設 3 川西組立工場(3から下に敷地) |
|
4 記念碑(右上) | 5 撮影地点(滑走路北側から) |
姫路空の概要 | |
●姫路空(ヒメ): 練習航空隊(艦攻実用教程担当) ●航空隊開設: 昭和18年10月1日 ●航空隊廃止: 昭和20年5月5日(昭和20年5月4日、白鷺揚武隊特攻) ●使用機種: 天山、97式艦攻(定数:43機) ●戦歴: 第1〜3護皇白鷺隊、白鷺赤心隊、白鷺揚武隊として沖縄戦に特攻隊として参加 (97式艦攻全機消耗、天山のその後については不明) |
|
鶉野飛行場 | |
●第31・32空(陸上機操縦教育担当)の原隊(昭和19年3月開隊)で南方に配備 ●昭和20年3月:第1001海軍航空隊: 紫電改テスト飛行及び輸送業務を実施する。 (その他零輸・96式輸・紫電改装備) ●昭和20年3月:第11航空工廠姫路分遣隊が来る。 ●昭和20年6月28日:筑波空の紫電隊が鶉野に派遣される。: 本土決戦用に分散温存 (昭和20年5月5日付で谷田部空・筑波空・大村空・元山空・210空の紫電が集まって戦闘403飛行隊を編成、戦闘402と共に筑波空の 所属となる。)、鶉野には1個飛行隊(定数48機)が派遣されたものと思われる。 ●昭和20年8月24日:戦時中、飛ぶことの無かった紫電隊が最後の飛行を実施、その後武装解除(プロペラ等外す。) |
|
姫路海軍航空隊基地施設概要 | |
●基地名<姫路海軍航空隊> ●所在地<兵庫県加西郡九会村・下里村> ●航空隊開設<昭和18年10月1日> ●基地完成年月<昭和19年5月> ●主要機種<中・小型練習機(天山、97式艦攻、93式中練)> ●基地敷地面積<2531040平方メートル> ●飛行場滑走路1200m×60m 1本(当初550m、後に拡張した。) (転圧1500m×60m 2本、土質粘土) 運搬路(誘導路)8000m×30m、終戦時15000m ●掩体壕<中型10ケ個>、<小型45ケ所> ●主要施設<格納庫>、<兵舎>、<庁舎>、<送信所>、<講堂>、<倉庫> ●防空施設<対空機関銃25mm連装4ケ所>、<単装2ケ所> ●電波探信儀 桑原田 |
|
川西航空機株式会社姫路製作所 | |
● 姫路市から少し東に行った所、市川との中間に京口駅がある。その駅近くに川西航空機製作所があった。 ●紫電及び紫電改の製造を担当し、鳴尾工場での生産する紫電及び紫電改には製造番号の頭に5が、姫路工場のには7が付けられていた。 現在は宅地となり当時を思い起こすものは何も無い。 そこは何度か訪れたことがある。その時の疑問として完成した飛行機をどこから飛ばしていたのかだった。 その時までは市川の河川敷に滑走路を造りそこから飛ばしていたものとばかり思っていた。 (航空機製作所近傍には社用の飛行場、または陸海軍の基地がある。:この飛行場とは鶉野飛行場のことである。) ※ 後で判ったことだが、最終組立を残すのみとなった機体は、3頭立ての牛車に引かれ、一路鶉野へと向かい、そこで最終組立が実施された。 |
|
●工場名 鶉野組立工場 ●所在地 兵庫県加西郡九会村・下里村 ●工場創設 昭和17年7月1日 日本毛織より川西航空機へ ●昭和19年8月 鶉野組立工場落成式 ●昭和20年3月 工場秘匿名「神武萩津工場」を使用 ●昭和20年6月 姫路製作所空襲被爆 ●昭和20年7月 第2軍需工廠設立、海軍管轄となる。 ●工場施設面積 約93500平方メートル ●生産機種 局地戦闘機「紫電」、「紫電改」 19年12月より「紫電」生産開始 446機製造 20年3月より「紫電改」生産開始 44機製造 ●工場施設 第1期組立工場・第2期組立工場×2ケ所、格納庫×2、飛行指揮所、兵器庫、プロペラ調整室、点火栓室、管制器室 |
|
終戦時に残存した航空機 | |
●紫電57機(筑波空所属機、谷田部空のマークのままの機体も存在した。)、●紫電改13機(他に未完成6機) ●零式練戦3機、93式中練2機、白菊・彗星・銀河・90式陸練・陸軍高連各1機 ※本来筑波空に保有しない機体があるが、それはおそらく、終戦後に他部隊から復員の足がわり飛来・着陸したものと思われる。) ●昭和20年10月頃、紫電57機中3機を飛行可能状態に復元し、アメリカ本土への輸送のため追浜に向け飛行する。 ※米空母「バーンズ」に積載された日本陸海軍航空機の中に紫電7287・7317号機の2機があった。後の1機は積載されていない。 その後の紫電については不明だが、後世にその姿を見せることなく消えていった。 |
|
その後 | |
●戦後川西航空機鰍ヘ新明和工業鰍ニして、飛行艇を製造している。 この基地跡は主滑走路を残すのみとなり、航空隊跡地は神戸大学農学部に、組立工場は農地・宅地・工場となっている。 |
|
兵庫県内の航空機製造工場及び航空基地 | |
●最大のものは川西航空機で、甲南・宝塚・鳴尾・姫路工場があった。全機種を製造していた。 ●川西疎開工場 ・甲南工場: 最終組立(大阪盾津飛行場の松下航空会社) 機械:梅田の阪急、板金:山芦屋、取付:苦楽園 ・宝塚工場: 北条、篠山、三田、甲子園、仁川、逆瀬川等 ・鳴尾工場: 福知山(石原、正明寺)、逆瀬川、甲陽園、関西学園、武庫川等 ・姫路工場: 鶉野、北条、龍野等 ・広域分散分工場の生産部品の最終組立工場: 福知山、鶉野、盾津、四国工場 ※昭和20年5月11日:甲南工場爆撃、 7月1日:宝塚工場爆撃、 6月22日・7月4日:姫路工場爆撃受ける。 ●三木市: 川崎航空機明石工場のキー102(襲撃/戦闘機)の疎開工場 ●明石市: 川崎航空機明石工場(2式双戦、キ−102、99式高練等製造):高槻の地下トンネルへ疎開 ●住友金属工業プロペラ製造所(尼崎)から神崎工場に疎開 ●加古川市: 加古川飛行場(陸軍) ●西宮市: 鳴尾飛行場(海軍) ●伊丹市: 伊丹飛行場(陸軍) |