一枚の写真から
読売新聞
他新聞報道(2012年10月19日版)
調査・分析
確認事項(他の新聞等の記事による。)
1 終戦前に地中に埋められた。
2 ヤンゴンに36機、ミッチャ−ナに18機、ヤンゴン周辺を合わせ60機
ビルマ戦線に展開したスピットファイヤー使用部隊とその型式
※ No10 Squadron: スピットファイヤーMk8
※ No11 Squadron:スピットファイヤー 型式不明
※ No15 Squadron:スピットファイヤーMk8
※ No17 Squadron:スピットファイヤーMk8C
※ No152 Squadron:スピットファイヤーMk5B・Mk5C・Mk8・Mk14
※ No155 Squadron:.スピットファイヤーMk-8
※ No607 Squadron:スピットファイヤーMk-5C・Mk-8
※ No681 Squadron:スピットファイヤーMk-11・MK-19等
歴史背景
1943年     :インド・ビルマ方面にスピットファイヤーMk5配備
1943年10月  :高性能のスピットファイヤーMk8配備
1945年5月2日:ラングーンを連合軍側奪還
1945年終戦後:再びイギリス領となるがインドと同じように独立の機運が高まる。
1947年    :ビルマは独立を勝ち取るが、依然と政情不安続く。
1951年    :当地の反乱軍鎮圧のため、Mk18(Mk15)20機が送られる。 (梱包のまま保管されていたMk18(Mk15)をビルマに送ったとの証言もある。) 
1954年    :イスラエルからスピットファイヤーMk9型30機がビルマに送られる。
結論(予想)
※ 現地で使用されたスピットファイヤー等の大戦機は、本国に持ち帰ることなく現地において処分(地中に埋める。)がなされたものと推測する。
※ 大戦直後であれば、Mk5・Mk8、Mk9が有力(スピットファイヤーだけではなくハリケーン等の機種も含まれていることが予想される。)
※ Nk8は1658機生産され、そのほとんどが海外派遣部隊で使用
※ Mk9は5665機生産され、アジア戦線での対日本軍機を想定して作られた。 
思い立ったが吉日、スピットファイヤーMk8を制作する。
私自身は、日本陸海軍航空計器の研究者でありますが、日本軍機以外のものについては今回が初めてで計器の目盛1つ1つから制作しております。
日本軍機に比べ以外とスピットファイヤーの資料は多くあり、日本軍機よりスムーズに実施できたと思っています。
その反面、型式が多くあるため、Mk8に限定したため、Mk8の写真を見ながら該当する資料(画像)を探しなからの制作となっています。
日本軍機も選定に悩むほどの資料があればと思っていますが、叶わぬ夢なのでしょうか。
まだ不備な点は散見されるが、とりあえず良しとする。
2012年11月29日
現在進行中、自分自身そこまでやるか驚いている。
もっと精密描写にこだわり、CGらしいCGにすべく努力中
2012年11月29日現在
2012年11月26日現在
サンプル集(最近制作した作品)



戻る