確認事項(他の新聞等の記事による。) |
1 終戦前に地中に埋められた。
2 ヤンゴンに36機、ミッチャ−ナに18機、ヤンゴン周辺を合わせ60機 |
ビルマ戦線に展開したスピットファイヤー使用部隊とその型式 |
※ No10 Squadron: スピットファイヤーMk8
※ No11 Squadron:スピットファイヤー 型式不明
※ No15 Squadron:スピットファイヤーMk8
※ No17 Squadron:スピットファイヤーMk8C
※ No152 Squadron:スピットファイヤーMk5B・Mk5C・Mk8・Mk14
※ No155 Squadron:.スピットファイヤーMk-8
※ No607 Squadron:スピットファイヤーMk-5C・Mk-8
※ No681 Squadron:スピットファイヤーMk-11・MK-19等 |
歴史背景 |
1943年 :インド・ビルマ方面にスピットファイヤーMk5配備
1943年10月 :高性能のスピットファイヤーMk8配備
1945年5月2日:ラングーンを連合軍側奪還
1945年終戦後:再びイギリス領となるがインドと同じように独立の機運が高まる。
1947年 :ビルマは独立を勝ち取るが、依然と政情不安続く。
1951年 :当地の反乱軍鎮圧のため、Mk18(Mk15)20機が送られる。 (梱包のまま保管されていたMk18(Mk15)をビルマに送ったとの証言もある。)
1954年 :イスラエルからスピットファイヤーMk9型30機がビルマに送られる。 |
結論(予想) |
※ 現地で使用されたスピットファイヤー等の大戦機は、本国に持ち帰ることなく現地において処分(地中に埋める。)がなされたものと推測する。
※ 大戦直後であれば、Mk5・Mk8、Mk9が有力(スピットファイヤーだけではなくハリケーン等の機種も含まれていることが予想される。)
※ Nk8は1658機生産され、そのほとんどが海外派遣部隊で使用
※ Mk9は5665機生産され、アジア戦線での対日本軍機を想定して作られた。 |