一枚の写真から
2014年9月18日(読売新聞から抜粋)
2014年9月19日
かつての姫路城には外堀、中堀、内堀があった。
現在見られるのは内堀と中堀の一部だけである。
江戸期には外堀と中堀の間に西国街道(山陽道)が通り、商店や宿場等の町屋が建ち並んでいた。
この備前門橋は、外堀に架けられた五つの橋の一つである。
西国街道の東の玄関口にあたる外京口門には城門や二層櫓等があった。
一方の西の玄関口にあたる備前門には二重の城門や三層櫓等があった。
建設当時には西方を警戒していたことが伺える。
2015年3月23日
戻る