姫路市内の城郭・寺院等
1581年(天正9年)、羽柴秀吉によって築城された天正姫路城天守閣(想像図)
姫路城 天正時代 羽柴秀吉 築城 天正時代の姫路城 未完成
 秀吉が姫山の地に城を築く以前は、小寺氏の出城として砦程度の簡素なもがあった。
 縄張りは黒田官兵衛、普請奉行に前野長康、大工棟梁に磯部正次郎直光が受け持った。
 着工から一年後の天正9年(1581年)3月に完成した。
 天正姫路城は東に大手門があり、画像は南東の方角から見たものとなっている。
 現在の姫路城は池田輝政が築城し、ほぼ同じ位置に天守閣を配置している。
 今の天守閣の石組みの中には天正姫路城の天守閣の石組みが有るというが、細部については不明である。
 池田輝正の時代に今の天守閣を建て、本多忠政の時に姫山と鷲山を連結するとともに、鷲山に西の丸を造営した。
 鷲山の西側には男山がある。
 以降は推測となるが、秀吉時代までは三山による防衛としていた。
 各山の間には濠を巡らし独立した防衛施設だったと推測している。
 現在姫路城内にある三国濠は、姫山と鷲山の間にあった濠の一部であったと思われる。
 2009年5月、3DCGによる天正姫路城天守閣の製作を開始、一次中断はしたものの同年11月27日に完成とする。
 2011年9月頃から城郭を制作中である。
 天正時代の姫路城を造るためのは現在の姫路城のCGも作る必要がある。

 空いた時間を活用しながら逐次制作していく予定である。
2011年9月21日 再レンダリング
江戸期の姫路城総構えを作る(想像図) 
 江戸期の姫路城は姫路駅をも含む巨大なものであった。
現在は内堀しか残っていないが、中堀には10門、外堀には5門が存在していた。
CGで再現することは誰も行っていないが、暇を見つけてはこつこつと作り続けたいと思っている。
実は現在の姫路城すら出来ていないが、諸門から始め徐々に本丸へと迫ろうかと考えている。
あまりにも壮大な計画のため何度も挫折しているが、どうにか達成したいと願う。
   
目標とする画像  実際は外堀をも含む全地域を目指す。 
   
 内堀内の地域未完成 姫路城天守部分未完成 
内堀内を制作中に異常事態発生
案内図にあった資料を基に石垣を制作したあと、概略の壁等を付けた段階で違和感をおぼえた。
原因を究明するため航空写真を乗せてみると制作した石垣が相当ずれていることが判明した。
確かに「内堀内の地域」では天守部分が小さいのが判る。
早速修正を試みるが、どうも作り直した方が早いようである。
ここで何回目かの挫折を味わう。日を改め再チャレンジする予定(2014.11.13)
   
中堀・外堀の諸門配置図  備前門(西の入口) 
   
外京口門(東の入口)未完成 中之門未完成 
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