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南山田城は播磨国山田村陣屋のことで、後藤又兵衛の父である後藤基国が美作国塩湯郡から赴任
後藤基国は、三木城主別所長治が毛利方に寝返った時に共にし、 三木城落城とともに浪々の身となった。
この付近には後藤姓が多く、50代の子孫の方の話を伺うことができた。
要約すると、小さいころには堀があった。北側には昔に矢場あり、弓矢や馬術の練習できる広場があった。
とのこと。
画像では正門を南側にしているが、現地を見ると山の尾根の先端部を城とし、途中で尾根を切り取り
堀としたのではないかと思えた。
すると正門は東西のどちらかとなるのだが・・・。
(←山田町史より抜粋・着色) |
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