機上作業練習機とは |
艦上攻撃機や艦上爆撃機のパイロット以外の同乗者を訓練するための練習機のことである。
昭和6年から使用していた九〇式機上作業練習機の後継機として開発された。
昭和16年6月より設計を開始し、昭和17年11月に試作第1号機を完成させた。
昭和18年試製白菊(K11W1)として量産が開始され、昭和19年3月に制式採用された。
終戦までに798機製造され、終戦時には370機以上が残存していた。
終戦後の緑十字を付けた「白菊」の画像は細部まで形状を読み取れる貴重な写真と言える。
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「白菊」の一部は倉敷でも作られていた。 |
※ 「白菊」は、全金属製モノコック構造の胴体に木製骨組み合板張りの主翼を有した中翼単葉機である。
※ 倉敷航空化工岡山航空機製作所では 「白菊」の主翼等を生産していた。
その他にも「東海」の木製化計画にも携わっていたと思われる。
※ 古老の話によると終戦後、三菱水島製作所の後かたづけをしている時に「ベニヤ板製の機体があった。」とは
「白菊」だったのかも知れない。 |
白菊使用部隊 |
※高知海軍航空隊
※徳島海軍航空隊(二代)
※第一鈴鹿海軍航空隊
※大井海軍航空隊
※藤沢海軍航空隊
※築城海軍航空隊(二代)
※名古屋海軍航空隊(二代)
※百里原海軍航空隊(二代)
※美幌海軍航空隊
※上海海軍航空隊(大井海軍航空隊上海分遣隊)、後の青島海軍航空隊
※第一〇二三海軍航空隊〔輸送機〕等
おそらく上記以外の海軍航空隊にも数機程度の白菊が連絡用とうかの用途で配備されていたと思われる。 |