姫路市内の城郭・寺院等
姫路市 多田古墳群
多田古墳群 鳥瞰図
姫路市山田町多田周辺の古墳群 多田周辺鳥瞰図(8世紀頃)
 かつて姫路市山田町多田の地には、3つの古墳と多田廃寺があった。
全てが近い位置関係に点在することから、同一の豪族(佐伯一族?)のものと推測する。
@通称:清盛塚、全長45mの堅穴式前方後円墳で山(丘陵)の頂上部に造営している。
A多田古墳
全長40mの横穴式前方後円墳で平野部に造営している。
B御大師山古墳:全長30mの横穴式前方後円墳で山(丘陵)の頂上部に造営している。
 通称:清盛塚と御大師山古墳は山頂部にあり、山を削って作られたものであるが、 多田古墳は平地にある。
 実際に現地を訪れ、この多田古墳を見ると小高い丘陵を削って作られたものではないかと思われる。
C多田廃寺:8世紀頃に造営、一族の没落と共に廃寺となる。

 その他の説では、貞観10年(868年)7月に起きた播磨地震により郡の官舎・諸寺の堂塔みなことごとく崩れたとの記録もある。
 廃寺となった直接原因は、この時の地震だったと思われる。
 
清盛塚(堅穴式前方後円墳) 多田廃寺(8世紀)
 古墳造営の時から時代をさかのぼり、1世紀頃にイワノオオカミとアメノヒボコとの戦いがあった地がある。
 多田の地から1.5km北上した所の八千種(神崎郡福崎町)にアメノヒボコが陣を張った所である。
 実際に大規模な戦闘があったかについては判らないが、小競り合い程度はあったと思われる。
 結果はアメノヒボコが陣を退いたため、イワノオオカミが勝利したものと思われる。
八千種(アメノヒボコ陣地)鳥瞰図 多田周辺鳥瞰図その2

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