姫路市内の城郭・寺院等
 多田廃寺(想像図)
 
2017年6月29日(2014年10月29日版修正) 
 多田廃寺 姫路市山田町  多田廃寺 想像伽藍配置図
 
 薬師寺様式の多田寺は、奈良白鳳期(7世紀後半)に創建され、平安時代まで存続していた。 
 西光寺野一帯は、大正年間の大規模な開墾により、遺構すら跡形もなく破壊されてしまった。
 中央の道路の切れた所付近に南大門、写真中央付近に中門があり、奥の山に向かって東塔・西塔、
金堂、講堂が連なっていたのであろう。
 なお、参考のために言うと道路等は当時からのものでなく、開墾により新しく作り直した道であろう。
 多田廃寺は研究者の資料によれば東西100m、南北200mの大伽藍となっている。
 多田廃寺は8世紀後期の建立、溝口廃寺は奈良時代前期の建立とされている。
 両寺は直距離で3km程と比較的近くに存在するとともに、同時代に建立されている。
 地方の国、播磨に大規模の寺院が建立されていたとは到底思えない。
 薬師寺の2/3から1/2程度に縮小したものを建立してのではないかと考えている。
 伽藍サイズが不明確では作り続けるのは困難であるため、現在は中断している。
 一方の溝口廃寺は比較的低い丘陵の上にあり、現地確認の結果、東西50m程の地積しかないこと
が判明している。
 伽藍の一辺が50mと決まれば、そのサイズにあった建物を造ってゆくのみである。
 
 大宝律令の大尺では一尺は約35.6cm、6倍で一間となる。
 一間は約213.6cmとなるのだが、私は一間を2mとして3DCG製作した。
「貞観10年(868年)の播磨地震(山崎断層を震源とする地震) により、国府や諸寺の堂塔みなことごとく崩れた。」とある。
 

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