陸軍 2式多連高射機関砲 |
羽田空港の工事現場の地中から旧日本軍の高射砲を発掘 |
2007年6月7日 |
羽田空港(東京都大田区)のターミナル建設工事現場から、高射砲が6日までに見つかった。 同空港を管理する国土交通省東京航空局東京空港事務所は旧日本軍が使用し、終戦直後に投棄された可能性が高いとしている。 同事務所によると、高射砲は地中約2メートル付近に押しつぶされたような形で埋まっていた。 金属製で、かなり腐食が進んでいるが、約2メートルの砲身が付いていた。 コンクリート製の台座とみられるものもあった。(記事及び写真: 時事通信) 各種新聞社等で報道された羽田空港の工事現場で発見された高射砲は、2式多連装20mm高射機関砲である。 ※ 写真中央の機関砲は、走行姿勢の状態で投棄されたようである。 タイヤは失われているがほぼ原型を保っている。 ※ 写真右側に配電盤らしき機器が確認できる。 ※ 後方の機関砲は、砲架のみで機関砲自体が失われている。 ※ 2式多連装20mm機関砲は、2式20mm機関砲6門をシステム射撃できるように電動化され、指揮装置により6門の機関砲が一斉に目標機に向け射撃 できるようシステム化されていた。 この2式多連装20mm機関砲は、昭和19年に制式採用され、16門のみ生産され、東京、九州八幡、台湾及びスマトラ島に配備された。 ※ 2式多連装20mm機関砲は、2式20mm機関砲と同様にシステム射撃以外に単体での手動操作による射撃も可能であった。 いずれにせよ旧軍の貴重な高射砲であり、しかるべき所に管理・保存すべきであると考える。 |
※ 宮嶋茂樹氏のサイトに発掘された当時の写真が掲載されていた。 サイト内の画像では詳細な所までは不明瞭なため、できれば写真をお送り願いたいと考えたが、宮嶋氏のサイト内にはメールアドレスは無い。 連絡ができないため掲載画像を参考にしなければならない。 その中で砲架下部の目盛は3桁(220)が読み取れた。以前は4桁(「ミル」目盛)と思っていたため制作した機関砲には4桁で表示してしまった。 そのため目盛の修正をする必要があるようだ。(2012.04.26) |
学研デジタル歴史館制作こぼれ話 戦争遺跡NEWS 旧陸軍の高射機関砲を発掘 (歴史群像84号)にも羽田の機関砲関係の画像を見つけた。 その写真を分析すると羽田にあったと思われるのは高射砲は2式多連装20mm機関砲(指揮装置×1、20mm機関砲×6、電源車×1)、4式基筒双連高射機関砲 (20mm機関砲双連)、基筒高射機関砲(98式高射機関砲の船舶用、単砲身)、88式7.5cm野戦高射砲?、海軍25mm双連機関砲の存在が確認できた。 また、コンクリート製の穴は指揮所と思われ、タ号電波標定機(射撃用レーダ)があったのではないかと推測する。 さらなる画像がネット上に出ることを期待するが、現在ではここまでの制作が限界と思われる。(2012.05.22) |
報道は報道用に、歴史関係の雑誌は記事にと各個異なった目的のため画像として記録している。 では誰が総括して歴史を記録するのだろうか?たぶん誰もいない。 公が歴史を残そうとする発想は日本人には無いようで、過去がそれを物語っている。 私からすれば「日本人はその日暮らしの○○」としか写らない。 目を背けた忌まわしき過去も歴史の一部である。それを収集・記録・保管・展示する必要があるのではないか。(2012.05.23) |
羽田の高射砲の写真等お持ちの方へ 3DCG製作の参考にしたいため、詳細な写真をお持ちの方はご協力をお願いいたします。 メール: 船津3D工房 |
射撃姿勢の2式多連高射機関砲 | |||||||
2012年4月24日 | 2012年4月25日 | ||||||
走行姿勢の2式20mm高射機関砲 | 電源車 | ||||||
2007年8月11日 | 2012年4月26日 | ||||||
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指揮装置 | 射撃姿勢の2式20mm高射機関砲 | ||||||
2012年4月24日 | 2012年4月24日 | ||||||
※ 指揮装置: 学研デジタル歴史館制作こぼれ話の中に指揮装置と思われる画像が掲載されていたが、あまりにも小さく詳細不明、現在までに正面と右側は写真として存在するためどうにか制作できるが、 上面・左側・後面が不明のままとなっている。 学研の写真があればと願うのだが・・・。 ※ 20mm機関砲:完成できたと思っていたが、ダイヤルの修正、転把、弾倉等の細部が違うようである。順番がくれば修正する予定である。 |
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サンプル集(最近制作した作品) |
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