百済の甲冑に関する資料は限られている。
と言うか百済自体の王城や寺院の全て破壊されてか痕跡すらない。
墳墓に残された物を参考にし復元している。
百済は独自の甲冑様式と製作技術を持っていたらしく、横矧板鋲留短甲、竪矧板冑と
挂甲があったようである。
これは4世紀頃の甲冑で方形板革綴短甲と小札を組み合わせた長方板革綴冑である。
これらの甲冑に中国の影響を受け、百済で作られていたようである。
材質は革製または鉄製である。 |
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5世紀中頃になると朝鮮半島特有の各種短甲へと変化する。
綴じ方も当初の革綴じから鋲留めへと変化していく。
日本で発掘される各種の短甲は、朝鮮半島の百済または伽那からもたらされたものである。
この横矧板短甲一式(一領)は、日本の有力者の手にもわたり、権力と富の象徴でもあった。 |
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