大祚栄は、契丹族が反乱を起こした時、これに加わり唐と戦うが敗れてしまった。 その後、唐の追撃軍を破り国家を建設し、「震国王」を名乗る。 まさにこの時代の甲冑姿を復元(推測)した。 契丹族・高句麗遺民の軍の甲冑は唐のものと思われる。 両者同じ甲冑であったため、敵味方の識別には旗印ぐらしかなかったと思われる。 ひょっとして、冑(ヘルメット)は唐とは異なった様式の物を着用していたかも知れない。