高 句 麗
@ 軽装騎兵用甲冑 A 重装騎兵用甲冑 B   歩兵用甲冑   C 
CG 高句麗 小札甲冑@ CG 高句麗 小札甲冑A CG 高句麗 小札甲冑B CG 高句麗 小札甲冑C
2009年9月8日 2009年9月28日 2009年9月13日 2012年2月4日
@ 西暦500年頃の高句麗には、@小札縅甲(上下分離型)とA挂甲(ワンピース型)の2系統の甲冑があった。
 また、それぞれ@革製A鉄製に細分化できる。

 この小札縅甲型で甲の部分は頸・肩甲、胴甲、膝甲が分離していた。
 そのため比較的動きやすい利点があったため騎兵用として使用された。

 西暦500年頃に大きく2つの変化があった。
 1つは、歩兵中心の戦術と軽装騎馬戦術が重装騎馬戦術に変化したこと。
 2つは、有機物(革)製甲冑から鉄製甲冑に変化したこと。

 中国に起源をもつ小札(こざね)で構成する甲冑は各地で独自の発展を遂げている。
A 西暦500年頃の高句麗の挂甲タイプの甲冑である。
 騎兵用として使用されたが、騎兵以外にも歩兵が使用していることが高句麗の古墳壁画から読み取れる。

 このタイプ以外にも肩から腕まで小札で覆ったものも存在したようである。
 以前作製した平安時代の大鎧でも20MB程度であった。
 今回はさらに忠実に復元するため、小札を1つ1つ組み合わせ作製した。
 そのため、この作品だけで64MBと強大なものとなった。
 PCの性能が向上したとは言え
この程度の大きさまでが限界のようである。
 どこまで部品数(容量)を減らせるかが今後の課題である。
B 西暦500年頃の高句麗の歩兵用甲冑で、秦・漢系甲冑の影響を受けている。
 胴体及び肩の部分は小札を縅により連結し、可動性の高い甲となっており、革製の紐により小札を縅している。
 草摺部は短甲型の草摺同様に上下に対する伸縮性が高い構造となっている。 
 冑は、騎馬民族が使いた鉢伏型冑に似ている。
 頸を保護するため長方形型の小札を布または革に縫いつけている。 
 まだこの時期の小札材料としては主に革製が用いられれていたが、その後、鉄製札へと変化する。縅方法も 鋲留へと変わってゆく。
 韓流映画等に見られる豪華絢爛な甲冑の存在は現在まで確認できていない。
C 高句麗墳墓壁画には、小札の甲と角のある冑を着用している武人が確認できる。
 また、発掘された甲冑には小札(鉄製)と頸保護のための甲(鉄製)の部分が確認されている。
 その他の部分は同時に発掘されていないと言うことは革製と思われ、鉄と革を使用した甲冑であったと思われる。
 甲冑制作には、「テジョヨン」・「ヨンゲソムン」・「クンチョゴワン」等の韓国ドラマを参考としている。
 ドラマであるため全部が全部事実では無いとは思うが、参考とするには絶好の題材でもある。
CG 高句麗 参考資料@ CG 高句麗 参考資料A
上:  左側甲冑の小札の縫い合わせ方法
下:  私が考える小札の縫い合わせ方法
CG 高句麗 小札甲冑A拡大版
 左上の写真は、韓国の博物館に展示されている甲冑(挂甲)である。
 写真の小札の組み合わせは、最下段に被さるように上段を結合し、右上図のようになっている。 
 この方法だと騎乗の兵士は、下から突きあがる槍先を防ぎきらない。
 突きあがった槍先は小札の段差があるため止まり易く、身体まで容易に達する。
 一方、右下図のように組み合わせれば、左右上下が重なり合い、防護に適するとともに、下から突き上げる槍先を上方向に逃す役割も果たしている。
 よって右下図の方法が正しいと思う。ではなくこうあらねばならない。
 ついでに述べるならば、襟(頸甲)は前後が逆である。前方特に下方視界を妨げられているため接近している敵が見えない。
 使用者側の立場に立って見ないと、とんでもない間違いを起こす。

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