平安・鎌倉時代 |
平安時代 |
日本はほぼ平定され、しかも軍団制度は整い、天皇や豪族自ら戦場で戦う必要がなくなった。
残るは東北の蝦夷のみとなり、強力な防護衣は必要なかった。
平安時代(約390年)間、初期(8世紀末から9世紀)には軍事的には小さな乱程度で比較的平和な期間であった。
中期以降(10世紀から12世紀)は、平将門の乱から始まり源平合戦にいたるまで武力衝突が相次いだ。
この期間には武器・防護衣が飛躍的に進歩していく。
豪族(武家)自ら戦場に赴く機会が多くなると防護衣である甲冑の進歩は著しいようである。
この時代に簡易甲冑であった両当式挂甲からより防護性に富んだ脇付両当式挂甲、沢潟縅鎧、最終的には大鎧・胴丸へと発展していく。 |
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衛士(御所警護)
2009年11月13日 |
※ 実戦用甲冑(簡易甲冑)
インターネット検索をしている時、平城遷都1300年祭の写真が目に止まった。
そこには両当式挂甲を着用している3人の衛士で写っていた。
それを見ていると「作りたい」の衝動に駆られ、制作に取りかかることにした。
時間的に余裕がある場合は、趣味的な要素の強い甲冑制作に取りかかることが良くある。
今回も両当式挂甲の実戦用甲冑を制作してみた。
本人の性格か写真のまま作るのは苦手のようで、あれやこれやと変化を付けている。
冑は上画像「8世紀頃の冑」を予定していたが、簡易甲冑である両当式挂甲には合わなかった。
個人的にマッチしない(不自然)のが理由である。
時期未定ながら、脇付両当式挂甲、沢潟縅鎧を制作したいと考えている。 |
※ 衛士(御所警護)
11月7日、京都御所と正倉院展を見るため家族で日帰り旅行に参加した。
覚悟はしていたが人出の多さには少し驚いた。
京都御所では画像のような服装の衛士がいたわけではないが、写真パネル展示されていたのを撮影した。
写した動機は単純で「作ってみたい。」である。3DCG作製から4日目でやっと完成した。
装飾化された両襠式挂甲を装備した衛士 小札は渡金
時代により変動するが、常時800名の衛士を保有していた。
<儀式用の装飾化された鎧のため、鎧としての機能は劣っていたと考えられる。>
正倉院展では堪能するほど見られなかった。と言うよりもほとんど見られなかったのが正直な所であった。
チケットは奈良国立博物館本館も見られるので、時間的制限はあったが見学に行った。
正面を入って直ぐの何の像かは記憶していないが、唐代の甲冑の資料となりそうな像をくまなく見過ぎたためか
本館でも全てを見る時間的余裕が無くなってしまったが、ここでも「作ってみたい。」と言う衝動にかられた。
また、JNN50周年記念歴史大河スペクタクでは唐招提寺建立を背景にしたドラマ化されたものを見た。
最後のほうでの短時間だったが戦闘シーンがあった。
兵士が着用していた革甲冑は未見の物だったが、短甲・挂甲は時代考証に正確に合致している。
今回の小旅行とTVから作る材料には事欠かさない程の収穫があった。
最近は中国・朝鮮の甲冑中心の作製であったが、日本の甲冑にも再度挑戦しようと考えている。 |
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衛士用太刀
2009年11月13日 |
太 刀
2009年12月6日 |
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実戦用甲冑(前後鎧)
2010年11月1日 |
実戦用甲冑(前後鎧+脇付)
2010年11月24日 |
沢瀉威鎧(平安時代中期)
2011年9月19日 |
安倍貞任(平安時代中期)
2012年2月4日 |
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和 船 |
宋 船 |
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2012年3月11日 |
2012年2月9日 |
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