海軍 十九試局地戦闘機 「秋水」のコックピットを復元する。



十九試局地戦闘機 「秋水」
1944年7月19日、巌谷中佐の手によりシンガポールから空路により、Me163B戦闘機及びロケットエンジン等の設計図がドイツから日本に届けられた。
その少し前、巌谷中佐はドイツからシンガポールまでの間は伊29号潜水艦に乗船していた。
しかし、ドイツから物資類を満載した伊29号潜水艦は7月26日台湾南方の洋上にて米潜水艦により沈没させられている。
伊29号と同じ任務を負っていたU-1224号も伊29号と同様に日本に到着することはなかった。
秋水403号機(プレーンズ・オブ・フェイム博物館所有)
計器板説明図
No. 計 器 名 備 考
零式航空羅針儀1型改1 -
4式射爆照準器 -
速度計3型改3 -
1号温度計2型改1 -
圧搾空気圧力計 1型
脚切換弁(投下レバー) -
水平儀5型 -
昇降度計3型 -
噴射圧力計 -
10 酸素調節器2型改1 -
11 圧力計 -
12 着陸用フラップ手動油圧ポンプ -
13 橇出入用レバー -
14 電源装置 -
15 前後傾斜計2型 -
403号機計器板
 航空ファン「秋水」ふたたび・・・によると、14は電気系統・無線機(3式空1号)の管制器とある。
 しかし、実際には電源装置のみで、管制器は右側タンク上に取付られていたと考える。
 また、10の上の赤いレバーは緊急時甲液放出レバーと曳航索レリースと言っているが、
 軽滑空機「秋草」(搭乗員訓練用グライダー)ではないため曳航索レリースは不必要と考える。
 実際は何だったのかはいまだに不明である。


 CGを製作するにあたり、航空ファン:「秋水」ふたたび・・・をおおいに参考とした。
 コックピット撮影のためプレーンズ・オブ・フェイム博物館へ行き、通常では見られない箇所を脚立を使い撮影した写真は驚嘆に値する。
 この写真は計器を研究している私にとっては貴重な資料となっている。

 注: プレーンズ・オブ・フェイムの秋水の計器板には米国製の計器(水平儀)が取り付けれている。

    その他にも米国製の計器を取り付けている可能性が高いため、私自身が「だろう」と思われる計器類にて製作した。
秋水復元機
復元され秋水 名古屋航空宇宙システム製作所 復元され秋水を更に戻す。
1961年(昭和36年)に神奈川県の日本飛行機杉田工場の拡張工事の際に土中より発見された機体がある。
現在、復元され名古屋航空宇宙システム製作所内に保管されている。
上画像は、復元された計器板をCGで再現したもの。
詳細な画像ではないため判りずらいが、高度計・水平儀・回転計・昇降計・油温計・圧温計は零戦にも取付け
られていたような計器である。おそらく秋水のは取り付けられていない計器類である。
左画像の水平儀下の空白は92式羅針儀にピッタリ合う。
ひと目写真を見た時に92式羅針儀の取付穴と判った。
では何故、三菱は復元する時に穴を開けたのだろう。
復元計器板の参考としたのは軽滑空機「秋草」ではなかったかと思われる。
秋水 403号機 コックピット
403号機 右側 403号機 左側
秋水 全姿
試製「秋水」 秋水コックピット全姿
2011年6月1日
参考資料
各務ヶ原基地の秋水 No1 各務ヶ原基地の秋水 No2
マロニーコレクション 秋水403号機

1979年 マロニーコレクション展(大阪万博会場)にて
各務ヶ原基地の秋水 No3
 上の3枚の写真は、1961年(昭和36年)に日本飛行機杉田工場(神奈川県)の拡張工事時に土中より発見された機体である。
 その後は航空自衛隊岐阜基地で保管・展示されていたが、2001年(平成13年)12月に復元され、現在は名古屋航空宇宙システム製作所(愛知県小牧市)内に展示されている。

 この秋水の製造は、 三菱では北陸(小松)、嶽南(富士大宮)の2ケ所、日本飛行機では富岡、山形の2ケ所、その他では日産輸送機(鳥取)で製造する予定であった。
 同じ日本飛行機とはいえ杉田工場に何故機体があったのかは不明であるが、 計画の富岡、山形以外の工場でも製造していたことが判る。

 終戦時、外観がほぼ完成していたのは三菱の4機、日本飛行機の2機とエンジンが2基のみである。
 別の資料では終戦までに機体5機分、エンジン2基のみ完成とある。

 1945年11月16日に本国に出航したバーンズに積載した45機の日本陸海軍機リストの中に81号機・403号機・504号機の秋水が含まれていた。 

 しかし、実際に到着したのは秋水2機のみであった。
 1機は海軍用にイリノイ州グレンビュー海軍基地へ、もう1機は陸軍ライトフィールド航空基地にそれぞれ運ばれた。
 どの機体をどのに運んだかは不明であるが、多くの日本軍機が破棄されるなか、幸運にも403号機はプレーンズ・オブ・フェイム博物館に引き取られ現存している。

 そして日本飛行機杉田工場の地中から発見された機体は、外観がほぼ完成していた日本飛行機の2機の中の1機と思われる。
 推測であるが、400番台は三菱製、500番台は日本飛行機製ではないかと考えている。
  
401号機 三菱重工製 海軍へ、追浜で試験飛行中墜落・大破
402号機 三菱重工製 陸軍へ、柏飛行場で試験飛行前に終戦
403号機 三菱重工製 外観がほぼ完成状態プレーンズ・オブ・フェイム博物館
504号機 日本飛行機製 外観がほぼ完成状態米国に運ばれた後に用済み破棄
番号不明 三菱重工と日本飛行機製各1機づつ

 ※ 終戦後、米軍の提出要求により組立・完成させたもので、エンジンは未完成のものを取り付けたのではないかと考える。
 ※ 81号機は軽滑空機「秋草」ではないかとも考えている。
 1 Japanese aircraft interiors 1940-1945 Robert C.Mikesh
 2 航空ファン:「秋水」ふたたび・・・
 3 website「船津航空計器博物館」他 

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