土器(かわらけ)山の戦い
場の設定は「黎明時に攻撃する赤松軍」です。

赤松と小寺の争いは、永禄12年(1569年)5月の青山に続き、6月に土器山の戦いへとつながった。
赤松政秀は夢前川西岸の小丸山に、対する官兵衛率いる小寺軍は東岸の土器山にそれぞれ布陣した。
赤松軍は夜闇に紛れて土器山を奇襲、不意を突かれた黒田軍は混乱するも日が明けても陣を守り抜いた・・・。

当初の予定では総勢80名程の人員を予定していたが、PCが悲鳴を上げたため50名となってしまった。
買い換へかグレードアップの時期に来ているのかも知れない。
黒田官兵衛率いる小寺軍(土器山陣地)
黒田官兵衛率いる小寺軍(土器山陣地)
2013年6月22日
黎明時に攻撃する赤松軍
黎明時に攻撃する赤松軍
2013年6月24日
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 戦争映画などでは全体が判るパノラマ的な映像や人物の顔の表情まで判る拡大した映像も見ることができます。
 表現する上でパノラマと拡大版とも必要不可欠なものと認識しています。

 今、戦国時代等の戦場全体をパノラマで表現させたら成瀬京司さんが第一人者と誰もが認めるだろう。
 その分野で成瀬さんに戦いを挑んでも勝利するまでにはほど遠いと思われる。

 そのため当工房では、戦場の一部分を切取り拡大した映像をと考えています。
 まるで映画のワンシーンのようなイメージを目指しております。
両軍クローズアップ
両軍クローズアップ(PCが悲鳴を上げたため画像には載せられなかったもの)
2013年6月25日
赤松軍騎兵
赤松軍騎馬隊(PCが悲鳴を上げたため画像には載せられなかったもの)
2013年6月25日
黒田二十四騎

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